Jay-Z

ジェイ・Z

バイオグラフィー
ジェイ・Zはアメリカ合衆国のニューヨーク出身の男性ラッパーである。アメリカの歴史上、最も多く稼いだヒップホップエンターテイナーの一人であり、Forbes誌によると2012年時点での総資産は500億円にもなる。人気シンガーのビヨンセと2008年に結婚し、2012年には長女のブルー・アイビー・カーターが生まれている。デビュー以来、世界中で7500万枚のセールスを記録し、さらにグラミー賞で17度の栄冠に輝くなど、音楽史上最も成功したアーティストの一人であると言える。スポーツバーチェーンの経営やファッションラインの設立など起業家/投資家としても活躍している。ヒップホップ/R&Bを専門として多くの人気アーティストが在籍している音楽レーベルのデフ・ジャム・レコードの元社長である。ビルボードアルバムチャートで13枚のアルバムで1位を獲得しており、これは歴代1位の記録である。ビルボードによる「2000年代で最も成功したアーティスト」で10位に、「2000年代で最も成功した男性ソロアーティスト」で5位に選ばれている。また2000年代のベストラッパー部門でも、エミネム、ネリー、50セントに次いで4位にランクインしている。ローリング・ストーン誌による「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」では88位に選ばれている。ジェイ・Zはニューヨークのブルックリンの貧困家庭に生まれる。メジャーレーベルと契約できずに、車でCDを売り歩く日々を続けて、結局数人の仲間と共に、1995年に自分自身で「ロッカフェラ・レコード」というインディーズレーベルを設立し、翌1996年にデビューアルバムの「Reasonable Doubt」をリリースした。DJプレミアやクラーク・ケントのような人気プロデューサーを起用し、ラッパーのノトーリアス・B.I.G.をゲストに招くなどし、ビルボード200アルバムチャートにおいて23位を獲得し、ミリオンヒットを記録した。このアルバムは後にローリング・ストーン誌による「歴史上で最も偉大なアルバム500」の248位に選ばれている名盤である。その後1997年にデフ・ジャム・レコードと契約、ショーン・コムズのプロデュースによる2ndアルバム「In My Lifetime, Vol. 1.」をリリースした。このアルバムは全米アルバムチャートで3位を獲得するなどヒットした。ジェイ・Zは後にこの時期は、親友であったノトーリアス・B.I.G.の突然の死に打ちのめされていた、人生最悪の時期だったと述べている。1998年には自身最大のヒット作となる3rdアルバム「Vol. 2... Hard Knock Life」を発表し、500万枚を売り上げた。リードシングル「Hard Knock Life (Ghetto Anthem)」もシングルチャートで過去最高の15位を獲得した(全英チャートでは2位)。1999年にはマライア・キャリーとのコラボ作「Heartbreaker」が初の全米1位を獲得し、人気をライトなファン層にも広げることに成功した。人気ロックバンドのリンキン・パークや、R&Bシンガーのアリシア・キーズ、妻であるビヨンセなど、様々なアーティストとコラボレーションしている。2014年のグラミー賞ではビヨンセとのサプライズ共演でオープニング・アクトを務めるなど、いまだにその人気は衰えていない。

Jay-Z

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ジャンル: ヒップホップ
活動期間: 1995年 ~ 活動中
ミューボの邦楽/J-POP版

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